タクシン元首相の帰国を歓迎する人の家の前に貼り出されたメッセージ。
2006年の反タクシンデモ行進。今年もまたこの混乱が繰り返されるのだろうか。
国家の運営に企業経営方式を導入したタクシンの政治は“タクシノミクス”と揶揄された。
実質的に国外追放の憂き目に遭っていたタクシン元首相が2月28日、突然タイに帰国した。もう二度と戻ってこられないのではと思われていたが、総選挙で旧愛国党系パラン・プラチャーチョン党が勝利したおかげで早期の一時帰国が可能になったのだ。もっとも身分は国有地不正取得疑惑の容疑者で、到着するなり裁判所に出頭。その後すぐにホテルへ移動し、そのままマスコミの目を逃れて姿を消した。暗殺されるのを恐れてのことらしいが、こんな状態でタイの中心に返り咲くことが可能なのだろうか。
タクシン氏と支持母体のタイ愛国党は、かつてタイ北部とイサーンを中心に大金をばらまいて選挙に圧勝。そして支持者の多かった地域にはさらにお金をつぎ込み、少なかった地域と露骨なまでに差別した。この「国家が二分された」とまで言われた態度のおかげで支持が強固になった反面、当人が追放される原因を作ってしまった。外国人はこのとき、――タイ国民は彼のお金に流されてしまった──そう思ったことだろう。しかし、買われたほうの人々は、実際どう思っていたのか。私は、そこには“プライド”にかかわる話はまったくなかったのではないかと思っている。彼らには、ただお金が必要だった。そこに親切にも希望するとおりに現金を渡してくれる人が現れたというだけで、はっきり言えばそれがタクシン氏でも愛国党でなくてもかまわなかったと思うのだ。
背に腹は代えられない。単純な話で、「貧しさに耐えて暮らせ」と言う人間と「お金をやるから好きに使え」と言う人間がいたら、どちらを支持するかだ。本当にお金がない人間に必要なのは明日の500バーツではなく今日の100バーツである。日本人には理解できないかもしれないが、微笑みの国、タイ王国の裏側にはそれくらい深刻な顔が隠されている。
タクシン政権を否定する意見はたくさんあるが、タイの田舎や都会のスラムに住む人々の困窮が解決しない限り、高い志を持った思想を実現する政治は生まれない。別の言い方をすればタクシン氏(あるいは類似した人物)は現金への期待と歓迎をしている国民とともに、いつかきっと復活するだろう。