タイでも誕生日は幸せいっぱい。しかしタイでは誕生日の当人がみんなに奢る。
生まれたばかりの赤ん坊を見守るのは親の幸せだ。
ドカンと出てくるタイ料理を喰らうのは無上の幸せ。
酒を呑んで大騒ぎするのが、とりあえずの私の幸せだろうか。
結婚式は幸せの始まりか……新郎新婦の思いは複雑だ。
日曜の朝、起きると朝食ができている。このような幸せはあまりない。
こう言ってはなんだが、長くタイにいると、「もうこのままなにがどうなってもいいもんねー」という気になってくる。例のマイペンライの空気がじわじわと忍び寄ってきて、その気がなくても流されてしまうのだ。
料理はおいしい、ビールは安い、女の子は親切でかわいい……とは限らないが、笑顔は素敵だ。1ヶ月暮らすと2ヶ月いたくなる。半年過ぎると飽きてくるが、そのころになると逆に日本に戻るのが苦痛になる。恋人でもできちゃったらさあ大変。「こうなったらタイで一生暮らすんだ」とか「愛さえあれば生きていけるんだ」と発作的に思いこんでしまう。
しかし、実際はそこから先のほうが大変なのだ。お金がなければ生活できないし、そうなったら働かなくてはならない。ならば退職金を持ち込んで第2の人生を送ろうか。でも、それって尻すぼみの人生ってことじゃないのかな……なんて不安がいっさい起こらないのがタイのよさ。どうしてなのかよくわからないが、そんなことを考えることすら面倒になってしまうのである。
そうやってタイに住み着いてしまう外国人は多い。また、タイという国は、そんな人たちをどんどん受け入れてしまう。最近は高年齢者向けビザなんてのを発給したり、そんな人たちが暮らすための分譲地まで整備し始めた。まさに天国の一歩手前にある天国といったところだ。
こうなると疑い深い性格の私などは考え直したりする。タイはたしかに素晴らしい国だが、本当にそうなのだろうか。居心地のよさの裏側に、なにかとんでもない落とし穴が待ちかまえているんじゃないかと、そう思ってしまうのだ。
本当の幸せとは、毎日楽しく暮らせるということにすぎないのだろうか。タイの楽しさとは、実は明日のことが目に入らないようになっているだけのことで、実は全員が崖っぷちを笑顔で歩いているだけなのでは……?
なぜだかわからないが無性に不安になってしまう最近の私。もっと辛いものをたくさん食べて、心のマイペンライ濃度を高める必要があるのかもしれない。